量子力学は近代科学の中核部を占めながら,物理的実在をきわめて奇妙な非決定論的なものとして描いているのだから,哲学思想家や宗教思想家の気を引いてきたのも当然である。観測者が必然的にプロセスに関与し,決定論が否定される,新しい,いっそう全体論的な自然哲学の誕生の予感は,伝統的宗教からより最近の「ニューエイジ」思想までの多彩な世界観の提唱者たちの心に訴えるものをもっている。
量子力学のうちに,神が行為できる「隙間」のいっそう永続的な源泉を見出そうとする神学者もいるが,これは必ずしも歓迎されていないようだ。そのようなことを試みても,神がなぜある場合には行動し,別の場合には行動しないのかという懐疑論者の問いに対し,いくらかでもましな答えを出せるわけではない。まして,思うままに自然法則を覆すあるいは停止することができると信じ続けている信者たちが,こうした神学に満足することはないだろう。彼らに言わせれば,神は自然法則の造り手であってその奴隷ではないのだから,量子系のあれこれの状態をいじくりまわす必要などないのである。
トマス・ディクソン 中村圭志(訳) (2013). 科学と宗教 丸善株式会社 pp.76
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