神経科学が宗教的信念に挑戦を突きつけていると感じる者たちが採用してきたもう1つの防衛的理論は,「二元論」である。つまり,この世界には精神的と物理的という2つの異なる種類の実体あるいは属性が存在し,それらがとくに人間において相互作用を起こしているという主張である。二元論者は,神経科学者が発見した密接な相関性を,精神が単なる脳の活動にすぎないことを証するものととらえずに,精神が脳と相互作用している,もしくは脳を道具として用いていることの証拠と考える。17世紀にルネ・デカルトが提唱したのも,同様の二元論哲学である。これは学問的に最も注目された議論の1つであるが,現代でもこの見解を受け継ぐ論者が,哲学の世界にも,より広い分野においても,大勢いる。
こうした二元論が意味をなすためには,物理的なものと非物理的なものが因果的な相互作用をどう引き起こせるのかを説明しなければならない。また,二元論がそれよりもシンプルなものに思われる物理主義よりも優れていることも説明しなければならない。後者によれば,精神は脳の属性的機能なのである。
あらゆる精神的体験が,何らかの意味で物理的なものであるとしても,だからといってその意味が何であるかがただちに明らかになるわけではない。なぜこの特別なわずかな物質(我々の知る限り,動物生体の脳内の神経細胞の複雑なネットワークのみである)は意識という属性を持ち,他の物質(岩石,野菜,さらにはコンピュータ)はそれを持たないのだろうか。この問題に関心を抱く哲学者や神学者は,近年,「創発(emergence)」「付随性(supervenience)」「非還元的物理主義」といった概念について論じてきた。いずれも,精神的実在が物理的なものに依拠しつつもなお自律的であるのはどのようにしたら可能であるかを論じようとするものである。精神が「創発」的ないし「付随」的であるとは精神の自律性を示唆する言い方であるが,精神が脳とは独立に存在できると言っているのではない。そうではなく,精神が神経学的レベルに体系的に還元できないような特性や規則性を示すという意味において,自律的であるというのである。
トマス・ディクソン 中村圭志(訳) (2013). 科学と宗教 丸善株式会社 pp.166-168
PR