筑波大学は,政府手動の下に作られた“新構想大学”である。東京教育大学の理学部と文学部を改組した「第一学群」,教育学部と農学部を合体した「第二学群」,それぞれ体育学部と芸術学部を拡大した「体育学群」と「芸術学群」,および新設の「第三学群(工学部)」と「医学群(医学部)」の6学群で構成される総合大学である。
教育大学にはなかった,工学部と医学部を設置することによって,総合大学のラベルを手に入れ,単科大学である東京工業大学と一橋大学を抜き去って,旧帝大並みもしくはそれを上回る“国際A級大学”を目指して,スタートを切ったのである。
ではこの大学が,新構想大学と呼ばれる理由は何か?その第一は,研究と教育を切り離したことである。教員は「学系」という研究者組織に所属し,教育組織である「学類」に出向いて教育を行うというシステムである(従来の国立大学で用いられていた教官にかわってこの大学では教員という用語が使われていた)。
教員の任務は研究と教育であって,大学運営に関わる雑用は,アメリカの大学のように,特別な権限を与えられた“学系長”と“学類長”が一手に引受ける。この結果,一般教員は雑事から開放され,研究・教育に専念できるという仕組みである。研究者にとって,このような素晴らしい環境は,わが国では他に例がない。
新構想の第二は,講座制の廃止である。教授ー助教授ー助手という閉鎖された組織,すなわち“講座制”の弊害については,学生時代に大体のことは知っていた。教授は絶対的権力の座にあぐらをかき,助教授・助手の研究だけでなく,場合によっては人格までも支配する封建的な制度を廃止して,組織の柔軟化・民主化を図ろうというのである。
今野 浩 (2012). 工学部ヒラノ助教授の敗戦:日本のソフトウェアはなぜ敗れたのか 青土社 pp.43-44
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