しかし論文を書いたところで,教授になれるのは早くても10年後である。助教授であっても,研究が出来ないわけではないが,助教授はやはり教授の補佐役に過ぎない。30代はじめに助教授になった新進助教授は,50過ぎまで助教授を務めているうちに,輝きをなくしてしまうのである。
京都大学の助教授ポストを射止めた白貝博士が,「次の目的は,1日も早く教授になることだ」と言ったことには,それなりの理由があるのだ。
研究者として暮らすアメリカは,学生として暮らすアメリカと全く違っていた。研究者として負け組に入りこんだ男が見た,業績のない研究者の惨めさは,日本の比ではなかった。
准教授に昇進できなかったある若手助教授は,死刑が確定した囚人が独房に移されるように,窓なし部屋に移動させられる。窓がない部屋の圧迫感は,そこに暮らした者でなければわからない。
今野 浩 (2012). 工学部ヒラノ助教授の敗戦:日本のソフトウェアはなぜ敗れたのか 青土社 pp.169-170
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