ぼくたちは日常の中で他人といろいろなやりとりをする。この場合の他人とは,親や兄弟,親しい友人,見知らぬ人など,およそ自分が日常の中でかかわる人をすべて指している。ここでのやりとりはコミュニケーションといってもよいだろう。ぼくたちは周囲にいる不特定多数の人といろいろなやりとりをすることで,必要な情報を得たり,物を買ったり,食べ物を食べたり,ときには嫌な思いをしたりする。それがどのようなやりとりであっても,「上手に」行うことができれば,「よい結果」が得られるはずだ。
他者とのやりとりという社会的な場面において,うまく振る舞うことができた個体は自分に有利な結果を得ることができ,それは,生き残る上で有利に働き,最終的に自分の子孫を残すことにもつながるだろう。ここで,他者とうまいやりとりができるのは,脳が働いて,適切な行動をとることができるようにその人の行動を制御しているからだと考えることができる。
ということは,脳の働きがほかの個体より少しでも優れていれば,ここでいう適切な行動をとるような制御を当の脳がしてくれる,ということになる。「脳が優れている」というのは少し曖昧な表現だが,単純に考えれば脳のサイズが大きければそれだけたくさんの神経細胞から脳は構成されているだろうし,そのぶん,神経細胞のより複雑で精緻なネットワークがつくられ,結果として複雑な情報処理も可能になると思われるからだ。
つまるところ,「他者とのやりとり」という社会的場面が進化上の1つの選択圧となり,脳が大きくなっていったというのが人の脳が大きくなったことの1つの説明である。これはマキャベリ的知性仮説と呼ばれている考え方だ。マキャベリというネーミングは,15世紀のイタリアの政治思想家ニコロ・マキャベリに由来する。
池田 譲 (2011). イカの心を探る:知の世界に生きる海の霊長類 NHK出版 pp.96
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