ぼくはときおり,自分の研究が本当に的を射たものとなっているのか不安に思うことがある。これはどのような研究分野に携わる人でも,多かれ少なけれ抱く感覚ではないかと思う。そもそも,サイエンスはまだ解明されていない自然現象を対象としているわけで,その時点での正解は誰も知らない。自分がその謎解きの最前線に立っているわけで,見た事柄についての判断,あるいはそもそもそれ以前に何を見るべきかという立案,そういった事柄はすべて自分で決めねばならない。「イカに心などあるのか?」「イカは本当にボディパターンで意思疎通などしているのか?」,「そもそもイカは社会的な動物なのか?」などなど,改めて思いをめぐらせると即答に窮する問いばかりを自分が設定していることに気づく。
しかし,そういうときに,イカを実に魅力的なコミュニケーターとして語るモイニハンという人のことを思うと,ぼくの研究の方向性は間違っていないだろうと少し安堵する。つまり,ぼくにとって,モイニハンという人はある意味で自分の研究のよりどころとなっている存在なのだ。他者依存といわれるかもしれないが,サイエンスには客観性が求められるゆえに,自分以外の誰かが自分と同じ,あるいは似た考えをもっているとひとまず安心するのである。モイニハンという,正真正銘のエソロジストがイカは面白い存在であると声高に主張しているのを見ると,自身の研究への確信のようなものをぼくは都合良く感じるのだ。
池田 譲 (2011). イカの心を探る:知の世界に生きる海の霊長類 NHK出版 pp.128-129
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