ここで,この仮説をもう一度よく考えてみる。同種に属する他者とうまくやり合う,自分に都合がよくなるように交渉する,ときには相手を操作する,ということを行うためには,そもそも他者と自分とを厳然と区別できていなければならないだろう。「己を知らずして何事かなさん」である。ということは,「自分という存在」をわかっていることが前提となる。自分を自分であると認識する能力。つまりは自己認識である。
こういった考えから,自己認識という能力は「発達した社会性」とそれを可能にする身体的な基盤の「大きな脳」という2つの要素がベースになる,と考えることができる。なるほど,ハンドウイルカもこういった2つの要素をもっている。ここで,鏡像自己認識が確認された6種の動物を改めて眺めてみると,いずれも大きな脳を持っており,その内容は個々に違うものの6種の動物とも発達した社会性をもっている。
さて,本書の主人公のイカである。鏡像自己認識が確認された動物たちは互いにずいぶん異なるとはいえ,全員が脊椎動物というグループに属している。対して,イカは無脊椎動物。そこには越えがたい厳然とした出自の違いがある。しかし,よく考えてみてもらいたい。その脳の大きさにおいて,あるいは,その社会性の発達度合いにおいて,そして,その賢さにおいて,イカはさっと素通りされるような連中であったろうか。彼らは,無脊椎動物では例外的ともいえる「巨大脳」をもち,そのことを反映するかのように群れという集団にのいて,あるいは繁殖や摂餌といった場面において「発達した社会性」をうかがわせてくれた。つまり,鏡像自己認識の前提となる2つの要素をそのうちに備えているただならぬ連中なのである。
池田 譲 (2011). イカの心を探る:知の世界に生きる海の霊長類 NHK出版 pp.205-206
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