改めて考えると,鏡像自己認識を探るというのは,イカが自分と他者とを見わけることができているのかと問いかけでもある。なぜそのような問いかけをするかといえば,イカが自分をわかっているかもしれないというそれ自体の興味に加え,もしもイカが自分のことを認識できているならば,それは彼らがもつ社会(あるいは,もつかもしれない社会)について何かしら物語ると考えられるからだ。つまり,自己を認識し他者を認識できるという能力は,複雑で発達した社会をつくる上での強力な土台となり,それ自体が彼らの社会のもつ特性のいくつかを雄弁に語ることができる,イカの社会を知る重要な手がかりになる,と考えられるからだ。
この考え方にしたがえば,鏡像認識をもつと想定されるのは社会性が発達しているイカにおいてだ。それは,鏡像自己認識と社会性とに強い相互関係を想定していることからすれば自明のことでもある。この点からすれば,先に登場したヨーロッパコウイカが属するコウイカ目の仲間は,単独で底生性,まれにごくわずかの個体で群れをつくることがあるということから「半社会性」と区分されているので,鏡像自己認識を調べる対象としてはあまりふさわしくはない。むしろ,ここでは「社会性」と区別されるイカをこそ対象とすべきである。
池田 譲 (2011). イカの心を探る:知の世界に生きる海の霊長類 NHK出版 pp.214
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