トムソン・ロイター社が,2013年に“日本の経済学者は,アメリカの経済学者に比べて論文数が少ない”というレポートを発表したとき,東大経済学部長を務めていた国友直人教授は,“日本の大学には,ほとんど論文を書かない教授が大勢いる”とコメントしている。実際,エンジニアのように論文を量産するのは,アメリカ帰りを中心とする一部の人だけのようである。
なぜ彼らは論文を書かないのか。それは,経済学者は他人が書いた論文に対して“必要以上に”厳しい審査を行うため,論文の投稿を諦めてしまう研究者が多いからではなかろうか。
1年かけて書いた論文を酷評された時のショックは,大学入試に失敗した時のショックに匹敵する。3回続けて拒絶査定を受けると,3浪したような気分になるらしい。3浪すると4回目にトライする気になれなくても不思議はない。
彼らが論文を書かないもう1つの理由は,(日本には)レフェリー付きジャーナルが少ないことである。工学系の分野には,A級からC級までさまざまなジャーナルがあるが,経済系の論文は,ひとたび拒絶査定を受けると行き場がないので,“霊安室”送りになってしまうのである。
どの分野でも審査は厳しいものだが,ヒラノ教授が知る範囲では,経済学者の厳しさは突出している。厳しい審査を受けた研究者は,審査員になった時に厳しい審査をする傾向がある。この結果,厳しい審査は自己増殖していくのである。
今野 浩 (2013). ヒラノ教授の論文必勝法:教科書が教えてくれない裏事情 中央公論新社 pp.44-45
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