ローマにおける死の手段としてもっとも有名なのは磔(crucifixion)だ。この語は,耐えがたい苦しみを表す形容詞excruciatingの語源にもなっている。教会の祭壇の上方を見たことがある人は誰でも,十字架に釘で打ちつけられることの言語に絶する苦痛に,たとえ一瞬であっても思いを馳せたにちがいない。胃袋の強い人なら,1986年に「ジャーナル・オブ・ジ・アメリカン・メディカル・アソシエーション」誌に掲載された,イエス・キリストの死についての考古学的・歴史的資料にもとづく法医学的研究論文を読めば,さらに想像を膨らませることができる。
ローマの磔刑は,まず裸にした受刑者を鞭打つところから始まる。使われたのは先の尖った石を編み込んだ短い革の鞭で,ローマ兵がそれで男の背中や尻,足を打つ。この論文によれば,「裂傷は骨格筋にまで達し,血を流して痙攣する細い筋肉の束が剥き出しになる」。次に,両腕が重さ45キロほどもある十字架にくくりつけられ,男はそれを背負って支柱が立てられた場所に運んで行かなければならない。そこで彼は背中をずたずたに裂かれた体を起こされ,手首に釘を打ち込まれて十字架に磔にされる(手のひらに釘を打ち込むという説明がよくされるが,手のひらの肉では体重を支えることはできない)。次に十字架が支柱にかけられ,両足は支柱に——通常は支えのブロックなしに——釘付けにされる。両腕に全体重がかかり,肋骨はその重みで広げられるため,腕に力を入れるか,釘を打たれた両足を踏ん張るかしないかぎり呼吸はむずかしくなる。3,4時間から長ければ3,4日間苦しみ抜いた末に,男は窒息か失血のために死亡する。処刑人は男を椅子に座らせることで拷問の時間を引き延ばすこともできるし,こん棒で両脚を叩きつぶし,死を早めることもできる。
私は自分が非人道的なものにはなじみがないと思いたい人間だが,それでもこのすさまじいまでのサディズムを考案した古代人の心の中をのぞいてみたい気持ちを抑えることはできない。仮に私がヒトラーの身柄を管理していて,どんな厳罰でも与えられる立場にあったとしても,とうていこのような拷問を課そうとは思わないだろう。まずは同情心からたじろいでしまうし,こんな残虐行為に嬉々としてふけるような人間にもなりたくもない。そして,これまで世界に蓄積されてきた苦難を,これ以上——それに見あう恩恵なしに——増やすことになんの意味も見出だせない(独裁者の出現を阻止するという実際的な目的でさえ,それを達成するには,独裁者は正義のもとに裁かれるという見込みを最大化するほうが,刑罰の残虐性を最大化するより有効だと私は考える)。それにもかかわらず過去という名の異国では,磔は一般的な刑罰だった。磔刑はペルシャで考案され,それをアレクサンドロス大王がヨーロッパに持ち帰り,地中海沿岸の王国に広まったのだ。イエスは扇動の罪に問われ,2人の盗賊とともに十字架にかけられる。この物語が喚起するよう意図されていた怒り,それは軽犯罪であっても磔刑に処されるということではなく,イエスが軽犯罪者のように扱われたことに対しての怒りだった。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.47-48
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