私たちが経験したもう1つの大きな変化は,日常生活における力の誇示に対する許容度が低くなったことだ。数十年前までは,自分を侮辱した相手に拳を振り上げることは,その人間が立派な人格を持つことのあかしだった。ところが今日,それは粗暴であることのあらわれ,衝動制御障害の兆候であって,その人物は怒りのコントロール・セラピーへの参加資格ありとみなされてしまう。
象徴的なのは1950年に起きたある出来事だ。当時のアメリカ大統領ハリー・トールマンの娘マーガレットは歌手の卵だったが,ワシントン・ポスト紙に彼女のデビュー公演をこきおろす批評が載った。トルーマンはその批評子宛に,ホワイトハウスの便箋にこうしたためた手紙を送りつけた。「いつか貴殿と面会したいものです。その際には,新しい鼻と,目に当てる肉の牛肉[目の周りのあざには生の肉を当てて治すという民間療法がある]をたっぷり,それに下半身用のサポーターをご用意ください」。作家であれば誰しも同様の衝動を抱いた覚えはあるだろう。だが今日では,批評家に暴行を加えると公然と脅すなどというのは無教養で粗野なことであり,もし権力の座にある者がそんなことをすれば不正で悪質な行為だと決めつけられる。だが当時,トルーマンはその父性的な騎士道精神の持ち主として尊敬されていたのだ。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.69-70
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