オランダの社会学者カス・ヴァウタースは晩年のノルベルト・エリアスとの対話からヒントを得て,現代は文明化のプロセスの新段階にあると示唆している。これは,前述した長期にわたる脱形式化のプロセスのことであり,最終的にはエリアスの言う「感情のコントロールをコントロールされたかたちで解除すること」,ボウタースの言う第3の天性へといたるものだ。人間の第一の天性が自然状態で生きる上での進化した動機から成り,第2の天性は文明化社会に根づいた習慣から成るとすれば,第3の天性はそうした習慣に対する意識的な内省——つまり,文化規範のどの側面が守る価値があり,どの側面がもはや無用であるかを見きわめる作業だといえよう。何世紀も前,私たちの祖先は自分たちを「文明化」するために,自然さや個性を示すものをすべて押さえ込もうとしたのかもしれない。だが非暴力の規範が定着した現在,もはや時代遅れとなった抑制もある。この考えでいけば,女性が肌を露出したり,男性が公の場で口汚い言葉を発することは文化的退廃の兆候ではない。それは,いまの社会が十分文明化されていて,そんなことで嫌がらせを受けたり,相手に攻撃される心配がないことのあらわれなのだ。作家のロバート・ハワードはこう書いた。「文明化された男性は野蛮人より無礼である。なぜなら彼らは,不作法な態度をとっても頭を割られる心配はないとわかっているからだ」。ひょっとすると,ナイフでグリーンピースをフォークに載せてもいい時代が到来したのかもしれない。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.243-244
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