十分な時間とそれを広める人があれば,アイデアの市場はただ単にアイデアを広めるだけでなく,その構成を変えることもできる。大きな価値のあることをゼロから考え出せる人というのはまずいない。ニュートン(謙虚とはほど遠かった)は1675年,ライバルの科学者のロバート・フックに宛てた手紙でこう書いた。「私が遠くまで見ることができたのは,巨人の肩の上に乗ったからだ」。人間の頭脳は,複雑なアイデアをひとつの塊にまとめたり,別のアイデアと組み合わせてもっと複雑な集合にしたり,その集合をもさらに大きな装置へとまとめて,それをさらに別のアイデアと組み合わせたり……ということは得意なのだ。だがそれをするには,途切れなくプラグインや部分組立品が供給されることが必要であり,それは他の頭脳とのネットワークなしにはありえない。
地球規模のキャンパスは,単にアイデアの複雑性を増すだけでなく,その質を高めもする。周囲から遮断され,閉ざされた状態では,異様なアイデアや有毒なアイデアは腐敗する可能性がある。それには日光に当てて殺菌消毒するのが一番だ。他の頭脳による批判的な光線を浴びせかければ,悪しきアイデアを少なくともしおれさせ,枯れさせることができるかもしれない。文芸共和国においては,当然ながら迷信や教義(ドグマ),伝説などの寿命は短くなり,犯罪のコントロールや国家の運営についてのまずいアイデアも短命に終わる。生きた人間に火をつけて,その燃え方で有罪かどうかを確かめるのは愚かな方法だし,悪魔と交わり,その悪魔を猫に変えたとして女性を処刑するのも同じように馬鹿げている。そして,自分が世襲による絶対君主でないかぎり,世襲による絶対君主制が最高の国家体制だと信じる人はまずいないだろう。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.328-329
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