確率とは視点の問題だ。十分近いところまでズームインすれば,個々の事象には決定的要因がある。コイン投げでさえ,初期条件や物理法則によって結果が予測できるし,熟練したマジシャンならその法則を利用して毎回,表を出すこともできる。だが多くの事象が視野に入るようにズームアウトすると,膨大な数の要因が時に相殺し,ときに同一方向に向かった結果を見ることになる。物理学者で哲学者のアンリ・ポワンカレの説明によれば,私たちが決定論的な世界に偶然の作用を見るのは,ささいな原因がたくさん積み重なって重大な結果をもたらすが,誰も気づかない小さな原因が誰の目にも明らかな重大な結果をもたらすか,いずれかの場合だという。組織的暴力を例にとれば,まず戦争をしたい人間がいて,その人間は好機がくるのを待つ。好機はやってくることもあれば,こないこともある。敵の側が交戦を決断することもあれば,撤退を決断することもある。弾丸が飛び,爆弾が破裂する。人が死ぬ……。これらの事象は個別に見れば,神経科学や物理学や生理学の法則で決まるかもしれない。だが総体としてみると,そこに関わる多数の原因がシャッフルされて,時として極端な組み合わせを生むことがある。20世紀前半,世界はあらゆるイデオロギー的・政治的・社会的潮流によって危機にさらされたうえに,一連の極度の悪運にも見舞われたのだ。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.379-380
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