そうならないことを願おう。もし「長い平和」が核による平和であるなら,それは愚か者の楽園だ。なぜならアクシデントや通信ミス,あるいは血に飢えた空軍将官の手によって,この世の終末が始まってしまう可能性があるからだ。けれどもありがたいことに,よく調べてみると,核による人類全滅の脅威は「長い平和」に大して貢献していないことがわかってくる。
理由の1つは,大量破壊兵器が戦争に向かう動きに歯止めをかけたことは,かつて1度もなかったということだ。ノーベル平和賞の創設者は1860年代に,自らが発明したダイナマイトについてこう書いている。「千回の世界会議よりも早く平和をもたらす。一瞬のうちに全軍が完全に破壊されうるとわかれば,人間の黄金の平和を持続させるにちがいないからだ」。同様の予測は,潜水艦,大砲,無煙火薬,機関銃についてもなされてきた。1930年代には,航空機から投下される毒ガスが,文明と人類に終焉をもたらすのではないかとの不安が広がったが,この恐怖も戦争を終結させるには遠く及ばなかった。ルアードが言うように,「歴史をふり返ってみれば,極度に破壊的な兵器が存在するだけで戦争を抑止できるという証拠はほとんどない。細菌兵器や毒ガス,神経ガス,その他の化学兵器が開発されたことが1939年の戦争勃発を抑止できなかったとすれば,いま,核兵器にそれができるといえる理由は容易に見当たらない」のである。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.474
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