化学兵器のタブーと核兵器のタブーの類似性は十分に明らかだ。今日,この2種類の兵器は,核兵器のほうが比較にならないほど破壊的なのにもかかわらず,「大量破壊兵器」としてひとまとめにされている。一緒にすることで,2つのタブーが互いに強化されるからだ。2つの兵器はともに,健康を損なうことで緩慢な死を引き起こすことと,戦場と市民生活との境界がなくなることを特徴としており,それが恐怖をいっそう増幅するのだ。
化学兵器に関して世界が経験してきたことは,少なくとも核時代の空恐ろしい基準からすれば,多少なりとも希望のもてる教訓を提示している。必ずしもすべての致死的な技術が軍のツールキットに恒久的に収まるわけではないこと,瓶から出てきた魔物のなかには,中に戻せるものもいること,道徳的感情が国際規範として確立され,戦争遂行に影響を与える場合もあること。さらにそれらの規範は,たまに生じる例外には揺るがない堅固さをもちうるし,そのような例外は必ずしも制御不能な戦争拡大を誘発するわけではない。この点は,とりわけ希望のもてる発見ではあるのだが,あまり多くの人が気づかないほうが世界にとってはいいのかもしれない。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.487-488
PR