人は他者を,その帰属や慣習,外見,信念などにしたがって心理的に分類する。このように対象を型にはめ,ステレオタイプ化することは,精神的欠陥の1つだと考えたくなるところだが,カテゴリー化は知性にとってなくてはならないものだ。カテゴリーに分類することで,観察されるいくつかの資質から,観察されない多くの資質を推論することが可能になる。たとえば,ある果物を色と形からラズベリーだと分類すれば,それを甘くて空腹を満たしてくれ,毒ではないということが推論できる。政治的公正さに敏感な人は,人間の集団にも果物と同様に共通の特徴があるという考えに怒りを覚えるかもしれない。だが,もし共通の特徴がなければ,称賛すべき文化的多様性も,誇るべき民族的資質も存在しないことになってしまう。集団が結束し,まとまるのは,たとえ統計的にであれ同じ特性を共有しているからだ。したがって,カテゴリーにもとづいて人間について一般化する心理は,その事実によって欠陥だということはできない。今日,アメリカ系アフリカ人のほうが白人よりも生活保護を受けることが多く,ユダヤ人のほうがアングロサクソン系白人新教徒(WASP)より平均所得が高く,ビジネス専攻の学生のほうが芸術専攻の学生より政治的に保守的——あくまで平均的にだが——なのは事実なのだ。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.562-563
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