ジェノサイドについてのここまでの説明をまとめると,次のようになる。人間の思考のもつ本質主義という習慣によって,人を分類するというカテゴリー化が行われ,あるカテゴリーの総体に対して道徳的感情が振り向けられる。この組み合わせによって,ホッブズの言う個人または軍隊同士の争いが,民族のような集団間の争いへと変化する。だがジェノサイドには,もう1つの決定的な要因がある。ソルジェニーツィンが指摘するように,数百万人単位で人を殺害するには,イデオロギーが必要だ。個人を道徳的カテゴリーに埋もれさせるユートピア主義の信念は,強力な政治体制に根を下ろし,その破壊的な力を最大限に発揮する可能性がある。このため,ジェノサイド死者数分布に異常なほどの外れ値を生じさせるのは,イデオロギーの力にほかならない。対立を生むイデオロギーの例には,十字軍や宗教戦争(さらに,副産物としては中国での太平天国の乱)におけるキリスト教,フランス革命のポリティサイドにおける革命的ロマン主義,オスマントルコとバルカン半島のジェノサイドにおけるナショナリズム,ホロコーストにおけるナチズム,スターリン政権下の旧ソ連,毛沢東政権下の中国やポル・ポト政権下のカンボジアでの粛清,追放,大飢饉におけるマルクス主義などがあげられる。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.571
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