テロはイデオロギーでも政治体制でもなく,戦術にほかならない。だから,「テロとの戦い」に勝つことは決してありえない——ジョージ・W・ブッシュが9・11後の演説で高らかに掲げた「世界から悪を追放する」という,より大きな目標が決して達成しえないのと同様に。グローバルメディアの時代には,テロの投資がもたらす膨大な利益——わずかな暴力の支出によって得られる恐怖の大金——に誘惑される,不満をいだいたイデオローグがつねにどこかに存在するし,約束された仲間同士の友愛と栄誉のためにすべてを危険にさらすこともいとわない兄弟集団が,つねにどこかに存在する。テロが大規模な反乱における戦術として採用されれば,国民や市民生活に計り知れないダメージをもたらし,核兵器テロという仮説としての脅威は「恐怖」という言葉に新たな意味を加えることになるだろう。だがそれ以外の,歴史が教え,近年の出来事が裏づけるあらゆる状況において,テロ行為は自らの破滅の種を蒔いているのである。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 上巻 青土社 pp.624
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