レイプは決して男性性の正常な一部というわけではないが,男性の欲望が基本的に性的パートナーの選り好みに頓着せず,パートナーの内面にも無関心であるという事実によって可能となっているところはある。もっといえば,男性にとっては「パートナー」という言葉より「対象物」という言葉のほうが適切なぐらいなのである。この性別による性行為の概念の違いは,それぞれの性別が性的攻撃の被害をどう捉えるかの違いに反映される。心理学者のデイヴィッド・バスが行った調査によれば,男性は性的攻撃が女性被害者にとってどれだけショックであるかを過小評価するのに対し,女性は性的攻撃が男性被害者にとってどれだけショックであるかを過大評価する傾向がある。この深い性別格差は,伝統的な法律や道徳律においてレイプ被害者が冷淡に扱われてきた理由の補足説明となる。そうした扱いがなされてきたのは,男性が女性に対して無情に権利を行使してきたから,という以上の理由があるのかもしれない。その背景には,自分たちと異なる心理,つまり,求めてもいない突然のセックスを見知らぬ他人とすることになるのは魅力的どころか不快なことであるという心理を,想像することができない男性の視野の狭さも関わっているかの知れないのだ。したがって,男性が女性と肩を並べて働いている社会,男性が自分たちの利益を正当化しながらも女性の利益を考慮しないではいられない社会とは,そうした愚鈍な無関心さが無傷でいられる可能性が低い社会だということである。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.58
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