インドや中国のような階層社会ではどうだろう,ホークスによれば,子殺しを行う階層社会では,親がやはり息子を所有するが,娘は所有していない。ただしこの場合は軍事的な理由というよりも,経済的な理由による。上流階級が富を独占している階層社会では,たいてい遺産が息子に受け継がれる。インドではカースト制がさらに市場を歪ませていた。低いカーストの家は法外な額の持参金を払わないかぎり娘を高いカーストの家に嫁がせられないのだ。中国では,親がもうろくするまでずっと自分の息子とその妻からの支援を受ける正当な資格を有するが,娘とその夫に対してはその資格を持たない(そのため「娘はこぼれた水のようなもの」という古来の諺がある)。1978年に導入された中国の一人っ子政策は,老齢になった親の世話を息子にさせようとするその要求をさらに厳しいものにした。これらの事例すべてにおいて,息子は経済的な資産であり,娘は負債である。そして親は,その歪んだインセンティブに最も極端な手段で応じるのだ。今日,子殺しはどちらの国でも違法となっている。中国では,子殺しは性差別的な堕胎(これもまた違法だが)に取って代わられたと考えられているが,実際にはいまだ広く行われている。インドでは,超音波と中絶のクリニックにセットで襲来されているにもかかわらず,あいかわらず子殺しが普通のことと考えられている。これらの慣行を減らそうとする圧力はほぼ間違いなく高まるだろう——たとえその理由が,政府がついに人口の計算を行って,今日の女児殺しが明日の荒れ狂った独身男につながることに気づいたから(その現象については追って詳しく見ていく)というだけだったとしても。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.86-87
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