容赦ない体罰は何世紀ものあいだ,普通に行われていた。ある調査によると,18世紀後半には,アメリカの子どもの100パーセントがステッキや鞭などのさまざまな道具で叩かれていた。そして子どもは法体系によっても罰される責任を有するとされていた。19世紀まで,イギリスの法は「7歳から14歳の子どもに悪意の確たる証拠」がある場合に死刑を認めていたし,死刑の最低年齢が18歳に引き上げられた1908年までは,10代の多くの子どもが放火や押し込みなどの微罪で吊るされつづけていた。20世紀の変わり目になっても,ドイツの子どもたちは「素直でないと,定期的に,猛烈に熱い鉄のストーブの前に座らされたり,寝台の支柱に何日も縛りつけられたり,冷たい水や雪のなかに投げ入れられたりして『強化』され,[また]親が食事や読書をしているあいだ,毎日何時間も強制的に壁に向かって丸太のうえで正座させられていた」。トイレトレーニングのあいだも多くの子どもたちは浣腸で苦しめられ,学校では「皮膚から湯気が出るまで叩かれた」。
苛酷な扱いはヨーロッパに限ったことではない。子どもを叩くのは古代のエジプトやシュメール,バビロニア,ペルシア,ギリシア,ローマ,中国,メキシコのアステカ族の記録にも残っている。たとえばアステカ族の罰には,「イバラで突き刺したり,子どもの両手を縛って先のとがったアガーベの葉で突いたり,鞭で叩いたり,火にかけたコショウのうえに吊るして刺激臭のある煙を吸い込ませたりすることまで」含まれていた。デモースによれば,20世紀に入ってからでさえ,日本の子どもたちは「日常的な体罰として叩かれたり灸をすえられたり,定期的な浣腸で残酷な腸の訓練をさせられたり……蹴られたり,逆さ吊りにされたり,冷水を浴びせられたり,首を絞められたり,体に針を通されたり,指関節を外されたりしていた」(歴史家であると同時に精神分析学者でもあるデモースは,第二次世界大戦時の残虐行為を説明するための素材をたくさん持っていた)。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.99-100
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