子どもがどのように扱われたかが,どのような大人に成長するかを決定するのだという考えは,今日の一般的な社会通念だが,当時はとても新しい考え方だった。ロックの同時代人,および後継者の何人かは,人生の形成期というものを人々に思い出させるためにメタファーに頼った。ジョン・ミルトンは,「幼少期の人間は1日のうちの朝にたとえられる」と書いた。アレキサンダー・ポープは,この相関関係を因果関係にまで高め,「若枝が曲がれば木もそのように傾く」と書いた。そしてウィリアム・ワーズワースは,幼少期のたとえそのものをひっくり返して,「子どもは大人の父である」と詠った。こうした新しい理解は,人々に子どもの扱いの道徳的な意味,実際的な意味についての再考を求めた。子どもを叩くことはもはや悪魔祓いとは言えなくなり,もとは無作法な行動の頻度を減らすことを目的として設計された,行動修正の手法ですらなくなった。幼少期のしつけでどういう大人に育つかが決まるのだから,そのしつけの結果が,予見されるにせよされないにせよ,未来の文明のあり方を変えることになるのだと考えられた。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.105
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