心理的な影響はともかくとして,いじめに反対する道徳的な言い分は鉄板である。漫画のなかでカルヴィンが言ったように,大人になれば,もう理由なく人を叩きのめすことはできない。私たち大人は,法律や警察力や職場規定や社会規範を盾にして自分の身を守る。そうであれば,子どもの視点から見ての生活がどんなものであるかを考えようとしない怠慢さや酷薄さのほかに,子どもが大人より無防備なままにされていい理由は考えつかない。道徳的な観点が広く普及して,その一端として子どもの価値がどんどん高まっていることにより,仲間の暴力から子どもを守るための運動は必然的なものとなった。ほかの侵害行為から子どもを守るための努力にしても同様である。子どもやティーンエイジャーは長いこと,昼食代を盗まれたり,持ち物を壊されたり,性的なお触りをされたりといった,校則と刑法執行の境目にあたる軽犯罪の被害者にされてきた。ここでもまた,そうした幼い人間の利益がますます認められるようになってきている。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.120
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