しかし,菜食主義と人道主義が仲良く調和するどんな制度も,20世紀のナチ支配下での動物の扱いによって,壊滅的に粉砕された。ヒトラーとその腹心たちは,菜食主義者を自称していた。しかしそれは動物への哀れみからというよりも,異常なまでの純潔さの追求からであり,大地とふたたびつながろうとする汎神論的な切望からであり,ユダヤ教の人間中心主義と肉食の儀式に対する反発からであった。人間はここまで道徳観を使い分けられるものなのかと感心するが,ナチは言語道断の人体実験を行っておきながら,その一方で,それまでヨーロッパにあったどんな法よりも厳格な研究動物保護法を制定した。それらの法では,農場や映画のセットなどにおいても動物に人道的な扱いをすることが定められ,レストランでは調理をする前に魚を麻痺させること,ロブスターを即死させることが義務づけられた。動物の権利の歴史にこの奇妙な一章が差し挟まれて以来,菜食主義の唱道者は,自分たちの最も昔からの主張を引っ込めざるを得なくなった。肉食は人を攻撃的にし,肉食の節制は人を平和的にする,という言い分はもはや通用しなくなったのだ。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.156-157
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