誰が正しく,誰が間違っているのかについて,冷静な第三者さえ疑わないような場合でも,心理学の眼鏡をかけて見てみると,悪人はつねに自分の行為を道徳的なものだと思っていることがわかるのだと覚悟しなくてはならない。この眼鏡はかけると痛い。「ヒトラーの視点から見てみよう」という文章を読んでいるときの自分の血圧を測ってみるといい(オサマ・ビン・ラディンでも金正日でもいいが)。しかしヒトラーにも,ほかのあらゆる感覚ある生き物と同じように,もちろん視点があった。そして歴史家が教えるには,それはきわめて道徳家的な視点であったという。ヒトラーは第一次世界大戦時にドイツの突然の予期せぬ敗戦を経験し,これは内部の裏切りがあったためとしか説明できないという結論にいたった。連合国による殺人にも等しい戦後の食糧封鎖と,懲罰的な賠償金請求には,いたく心を傷つけられた。彼はどうにか1920年代の経済混乱と街中の暴力を生き延びた。そしてヒトラーは,理想主義者だった。彼は英雄的な犠牲が千年王国をもたらすという道徳的なビジョンを描いていたのだった。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.218
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