なぜ人はそんな妄想にとらわれるのか?肯定的幻想は人を幸せな気分にし,自信を深めさせ,精神的に健康にしてくれる。しかしそれだけでは,なぜこれが存在するのかの説明にはならない。というのも,問題はそれ以前にあるからで,なぜ私たちの脳はそのように設計されているのか——つまり,なぜ私たちは現実に照らして正しく満足の度合いを調整せずに,そんな非現実的な評価だけで幸せになったり自信を深めたりできるのか,という疑問が残るのである。最もそれらしい説明は,肯定的幻想が一種の交渉戦術で,信用の置けるはったりだというものだ。リスキーな投機的事業を支援してもらうために協力者を募るときや,自分にとって最良の取引となるように交渉するとき,あるいは敵を威嚇して退却させるときに,自分の強みをもっともらしく誇張すれば,その人は得をすることになる。このときにシニカルに嘘をつくのではなく,自分のしている誇張を自分で信じていれば,なおさらよい。すでに嘘つきと嘘発見器との軍拡競争で,話の聞き手には白々しい嘘を見破る手段が身についているからだ。誇張が笑ってしまうほど見え透いたものでないかぎり,聞き手はこちらの自己評価を完全に無視するほどの余裕はもてない。なんといっても,自分のことを誰よりもよくわかっているのは自分なのであり,そのうえでの評価をあまり歪めすぎないようにしようとする内在的なインセンティブもある。この抑制がなかったら,つねに最後には大失敗をやらかすことになるからだ。もし誇張する人が誰もいなければ,種にとってはそのほうがいいだろう。しかし私たちの脳は,種の利益のために選択されてはこなかった。自分を大きく見せようとする者ばかりの社会のなかで,唯一の正直者でいられる余裕など誰にもない。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.247-248
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