20世紀後半は,心理学の時代だった。集団内の優劣順位,ミルグラムやアッシュの実験,認知的不協和といった学術雨的な研究の成果が,どんどん社会通念の一部となった。だが,一般の人々の認識に染み込んでいったのは,科学としての心理学ばかりではない。心理学的なレンズを通して人間の営為を見ることが,もはや一般的な慣習となったのだ。この半世紀のあいだに,人間という種の全体を視野に収めた自意識が育ち,それが文学や社会的流動性やテクノロジーによってさらに強化され,私たちの目はカメラのごとく,自分たち全員のことをスローモーションで追いかけるようになってきた。私たちはますます,自分たちの営為を2つの視点から見るようになっている。1つは,ものごとを自分の経験したそのままに見せる,頭蓋骨のなかの視点から。そしてもう1つは,自分の経験したことは進化した脳内の活動パターンからなっていて,そこには錯覚も欺瞞も含まれるのだとわきまえている科学者の視点から。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.353
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