「共感(エンパシー)」という言葉はせいぜい100歳だ。元祖はアメリカの心理学者エドワード・ティチェナーだとよく言われるが,彼がこの言葉を使ったのは1909年の講演で,オックスフォード英語辞典にはイギリスの作家ヴァーノン・リーによる1904年の用例が載せられている。どちらも由来はドイツ語のEinfuhlung(感情移入)で,もとは一種の美的鑑賞能力の表現として使われていた。つまり摩天楼を見て,すっくと立った自分自身を想像するように,「心の筋肉で感じたり動いたりする」ことを意味していたのだ。英語の書籍のなかで「empathy(共感)」の使用頻度が急激に上がったのは1940年代で,すぐに「willpower(意志力)」や「self-control(自制)」といったヴィクトリア朝的美徳を追い抜いていった(前者については1961年,後者については1980年代半ばに抜かれている)。
その急激な広まりと同時に,「エンパシー」という言葉は新たな意味を帯び,「同情(シンパシー)」や「思いやり(コンパッション)」と似たような意味で使われるようになった。この意味の混ざりあいは,ある心理学の俗説にとてもよくあらわれている。すなわち他者への善行は,その他者になったつもりで,その人が感じることを感じ,その人が体験することを体験し,その人の視点に立って,その人の目を通じて世界を見ることに依存する,というものだ。この説は,自明の真理とは言いがたい。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.361-362
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