現代の時代において自制の欠如と思われるもののほとんどは,国家以前の時代の不確かな世界において祖先の神経系に組み込まれた割引率を,いまでも私たちが使っていることに原因があるのかもしれない。その時代,人間は今よりずっと若くして死に,いまのように貯蓄を運用して数年後にその利潤を得させてくれる機関も持っていなかった。経済学者たちの指摘によれば,人びとに好きなように任せておくと,まるで自分があと数年で死ぬと思っているかのように,退職後に備えての貯蓄をほとんどしないのだそうだ。この事実をもとに,リチャード・セイラーやキャス・サンスティーンといった行動経済学者は「リバタリアン・パターナリズム」を唱えている。これは,現在の私たちの価値と未来の私たちの価値との格差調整を,人びとの同意のもとに政府にやらせようという考え方だ。たとえば最適の退職貯蓄制度を,従業員が加入を表明しなくてはならない選択として用意するのではなく,従業員が脱退を表明しなくてはならないデフォルトとして用意する。あるいは売上税の負担を,最も健康に悪そうな食べ物になすりつけるといった方策である。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.398-399
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