自分たちは重要な存在であるという肥大した感覚だけが,平和主義者のジレンマから逃れたいという人間の願望を,宇宙の大いなる目的に転化してしまう。しかし,その願望は,必ずしも物理的でないこの世の不慮の事態を引き出しているようなものであり,ゆえにいわゆる発明の母,つまり白砂糖やセントラルヒーティングのようなものを発明させるもとになった願望とは別物だ。平和主義者のジレンマも気も狂わんばかりの構造は,現実の抽象的な特徴である。その最も包括的な解決策である視点の互換性も同様で,これはキリスト教の黄金律だけでなく,他の多くの倫理体系にもあった同じような道徳律——「他人にしてもらいたいと思うことをせよ」——のすべての背後にある原理なのである。私たちの認知プロセスは,歴史を通じて,ちょうど論理の法則や幾何学の法則と格闘してきたように,現実のこれらの側面と格闘してきたのだ。
スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒(訳) (2015). 暴力の人類史 下巻 青土社 pp.577
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