ゴールトンは「優生学」という言葉を作った。優生学は,知能など人類の属性を改善するのに,品種改良技術を使うことを意味した。優生学者の見解が米知識人のあいだで一般化した時代——大ざっぱに言って1980年から1920年——があった。それは,米国に無制限に多数の移民が流れ込んだ時代でもある。セオドア・ローズベルトやオリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアは優生学の動きに関心を抱いた。ホームズはある最高裁判決で,政府による不妊化を支持,「3世代にわたる低能はもうたくさん」と重大な表現をした。あるカーネギー系慈善団体は,ロングアイランドの「優生学記録オフィス」に資金を提供。有力な教育者でテストの先駆者のエドワード・L・ソーンダイクも,優生学を支持している。優生学は,新移民が十分に有能なのを見せつけられて困っているエピスコパシーの一角と,社会科学の一角のあいだで,珍しく生じた小さな接点だった。
ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.33
PR