IQテスト派の考えは,知能指数の高い人々が能力を無駄にしないよう教育の場を確保することであって,教育改革——特に大学教育——を進めるものではなかった。社会は知力に応じて区分されるべきで,最も優秀な人々が指導者でなければならないと考えた。
不思議なことに,進歩派,基準設定派,IQテスト派の三派は,さまざまな相違点にもかかわらす1つだけ共通点があった。高校や大学で教育を受ける米国人が今より圧倒的に少ない時代に,いずれも教育拡大を主張していない。IQテスト派は,有能な少数の選抜が最優先の目標。ラーニドやウッドのような基準設定派は,高校や大学は学業に関心も能力もない学生でけしからんほど溢れかえっていると思っていた。リベラルな進歩派でさえ,全米の一部の高校の改革ばかりに関心を注いだ。その高校の大半は富裕層向けの全日制私立学校。生徒は進歩主義教育の恩恵を米国全体に伝えるどころか,さっさとアイビーリーグの大学に進学した。
ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.34
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