ブリガムなど先駆的な知能テスト専門家は,第一次大戦後,学校に目を向けた。学校は軍の次に,大人数を極めて迅速に評価・処理しなければならない組織であり,それゆえテストを行うには豊かな土壌といえた。ルイス・ターマンは小学生向けに「全国知能テスト」を開発。商業テスト会社がこれを熱心に売り込んだおかげで,1920年代に年間50万人以上が受験した。コロンビア大学のE.L.ソーンダイクは,学内の生徒向けに知能テストを作成。ペンシルバニア大学も採用した。イェール大学も1920年代初めに,学生に知能テストを実施した——これは実験であって入試目的ではない。ブリガムも大学に注目,陸軍知能テストのあるバージョンをプリンストン大学の1年生に実施し,さらに,ニューヨーク市にある,全生徒が特待生の工業大学,クーパーユニオンの入学志願者選抜にも用いた。
これらはすべて,本質的にはIQテストだった。多肢選択の設問が用意されており,受験者は解答を選ばなければならない。陸軍知能テストと同様,語彙の設問に強く依存したが,設問が難しくなったのが大きな違いだ。プリンストン大学の学生は,入学が簡単で,勉学の能力より「キャラクター」でもっぱら合否が決まった時代でさえ,陸軍知能テストのどの受験者層よりも得点が高かった。ブリガムはこれに気づき,1926年に同僚への書簡で「尺度の最上位において細かい差別化の手法として行き詰まる」と認めた。ブリガムは設問の改善を続け,陸軍知能テストは1926年までにSATに変身した。
ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.40-41
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