ブリガムはSATを大学に売り込む一方,重大な持論の変化を経験しつつあった。かつての彼自身も含めて,IQテスト派が奉っていた中心的な教義——IQテストが,生物学に基づく遺伝的に受け継がれた資質を測っていて,その資質は民族と関係していること——は誤りであるとの見解に達していたのだ。
SAT導入からわずか1年後の1927年。米知能テスト界の巨人,ルイス・ターマンは,ボストンで主催した会合で,ブリガムに講演を依頼した。ブリガムはそれを断り,頭の中をいっぱいにしている問題を整理した。IQに関する先験的な業績の大半は,真の信奉者たちがまとめていたが,彼らはまず結論(IQテストは信頼性と妥当性が極めて高く,歴史的に最も偉大な科学的進歩の1つである)の発表から入り,客観性が著しく欠ける雰囲気の中で研究を行なった。ブリガムは1928年,優生学者の会合に出席,以前の考えの撤回を表明した。
ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.43-44
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