1951年の春と夏を通して,チョーンシーはたえず表舞台に立ち,講演し,会議に出席し,発言を引用された。チョーンシーは冷静に,忍耐強く,安心させるように,テストは徴兵延期のためで徴兵免除ではないと説明した。70点をとることは,その人のIQが70という意味ではない。詰め込み教育で点数が上がることもない。大学の学年で上位半分の位置にいれば,テストの点数に関係なく徴兵延期を受けられる。米国は,科学的な才能のパイプラインが流れ続けることを強く必要としている。チョーンシーは,吹き出てくる議論を巧みにさばいただけでなく,潜在的な議論が新たに出てくるのを防ぐのも上手だった。
全米共通テストの1つの難点は,受験者全員の連続ランキングの作成に伴い,異なるタイプの人々の点数に幅広い開きのある実情が明るみに出ることだった。低得点者は生まれつき劣等だと非難されたように感じて,激しく怒る可能性がある。1951年,ETSはある低得点グループを強く懸念した。南部人である。徴兵延期テストでボーダーの70点に達するのはわずか42%と,ニューイングランド出身者の73%を大きく下回った。低得点の学生を徴兵し,大学を離れて入隊させれば,南部の大学が壊滅し,南部の政治家がテストに宣戦布告することが予想された。そこでETS内部では,地域別の割当制度のアイデアが広がった。割当制度は,北部人より点数の低い南部人にも徴兵延期を与えられるようにする。しかしチョーンシーは割当案に抵抗し,地域間の点差を隠し続けるように押し通した。幸運にも,この件は外部に漏れなかった。
ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.95
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