ヤングは怒りを買ったショックから立ち直ると,出版しようという人が出てくるような形に仕上がるまで,考えを深めることにした。彼が書くことにしたのは,『動物農場』と『すばらしい新世界』の精神に沿った,新社会秩序の関する暗黒郷をテーマにした作り話。2030年に書かれた社会学のニセ博士論文の形式にするつもりだった。すぐに出てきた問題は,ヤングの言うところの「人間によるというよりむしろ,最も頭の切れる人間たちによる支配」制度に,どういう名前を与えるかだった。アリストクラシーだろうか。ギリシャ語では,最良の人々による支配を意味したが,1950年代の西側世界全域では,逆の意味,すなわち富の相続人による支配と理解されていた。そこでヤングは代案を考えた。「メリトクラシー」である。
実際は,最初の音節をギリシャ語からラテン語に変えただけで,同じ単語である。ヤングは,友人の哲学者,プルーデンス・スミスに,「メリトクラシー」という言葉を使ってみた。彼女はぞっとして,ラテン語とギリシャ語の語根を1つの単語の中に組み合わせるのは,品の良さを醸し出す言葉のルールにすべからく反する蛮行だ,と言った。彼女が徹頭徹尾反対したので,ヤングは何十年たっても,そのときの様子を克明に覚えていた。2人はロンドンのゴールダーズグリーン墓地の火葬場の外で,「メリトクラシー」の造語が許しがたい掟破りかどうかをめぐって,議論を戦わせた。
ヤングはこれ以上ふさわしい単語を思いつかなかったので,「メリトクラシー」にこだわった。プルーデンス・スミス以外,だれも不満を言わなかった。「メリトクラシー」は英語に加わった。
ニコラス・レマン 久野温穏(訳) (2001). ビッグ・テスト:アメリカの大学入試制度 知的エリート階級はいかにつくられたか 早川書房 pp.144
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