はじめ大陸の改革派神学の中で語られた「契約」は,神の一方的で無条件な恵みを強調するための概念だった。人間の応答は,それに対する感謝のしるしでしかない。旧約であろうと新約であろうと,聖書の基本的なメッセージは,繰り返される人間の罪と反逆にもかかわらず,神はあくまでも恵みの神であり続ける,ということである。契約とは,当事者の信頼やコミットメントを表すものだったのである。ところが,ピューリタンを通してアメリカに渡った「契約神学」は,神と人間の双方がお互いに履行すべき義務を負う,という側面を強調するようになる。いわば対等なギブアンドテイクの互恵関係である。
神学者のリチャード・ニーバーによると,このような契約理解は現代アメリカ社会にも深く影響を及ぼしている。神学的な契約概念の変化は,人間同士で交わされる世俗的な契約をも変質させてしまった。本来それは,自分自身を縛る信頼と約束の表現であったのに,いつの間にか相手方に義務の履行違反がないかどうかをチェックする言葉になってしまった。ニーバーの解釈は,商売や結婚などを契約の概念で理解する「ドライな」アメリカ社会に対する文明批判である。
森本あんり (2015). 反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体 新潮社 pp.23
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