およそ宗教というものは,仏教でもキリスト教でも,ひとまずは人間の道徳が破綻したところから出発するものである。救いは凡夫や罪人にこそ与えられるもので,「申命記」のように単線的な道徳論は,聖書の中でもやや例外的である。ところが,アメリカの歴史はそこから始まっている。レーガンの底知れぬ楽観主義は,ウィンスロップの説教が敷いたわかりやすい二本線の論理をそのまま踏襲したものである。
アメリカ精神とは,昔も今も,このレールの上を突っ走る機関車のような精神である。この国と文化のもつ率直さや素朴さや浅薄さは,みなこの二分法を前提にしている。明瞭に善悪を分ける道徳主義,生硬で尊大な使命意識,揺らぐことのない正当性の自認,実験と体験を旨とする行動主義,世俗的であからさまな実利志向,成功と繁栄の自己慶賀——こうした精神態度は,交差も逆転もなく青年のように若々しいこの歴史理解に根ざしている。20世紀アメリカの産物である「ファンダメンタリズム」も,進化論を拒否する「創造主義」も,終末的な正義の戦争を現実世界で実現してしまおうとするアメリカの軍事外交政策も,みなその産物と言ってよい。
森本あんり (2015). 反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体 新潮社 pp.29
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