現代アメリカには,世界の大学ランキングで常にトップの位置を占めるハーバード,イェール,プリンストンといった大学がひしめいているが,これら3校はいずれもこうした任務に就くピューリタン牧師を養成することを第一の目的として設立された大学である。3校ともアメリカ独立以前から存在しているが,最初のハーバード大学が設立されたのは,1636年のことである。プリマス植民地への入植から考えても16年,マサチューセッツ植民地への入植からは,わずか6年しか経っていない。
考えてもみていただきたい。植民地の人口は,まだ1万人にも満たない段階である。人々はようやく無事に航海を終えてたどり着き,自分の家を建て,礼拝などに用いる公的な集会所を作り,何とか自治政府の体裁を整えたところである。そんな時に,次に作ろうと思うものは何だろうか。「大学だ」と思う人は,まずいないのではないだろうか。「学校を作ろう」と思う人はあるかもしれないが,その場合はまず小学校からだろう。ニューイングランドではやがて初等教育も充実してゆくが,よく知られた「アダムの堕落でわれらみな罪人なり」(In Adam’s Fall, We Sinned All)という一言で始まるアルファベット教科書が発行されるのは,半世紀ほど先のことである。
なぜそんな時に,「まず大学を作ろう」と思ったのか。彼らが恐れたのは,現在の牧師たちが死んでいなくなった後,教会の説教を誰がするか,ということであった。もしニューイングランドに大学がなければ,牧師になるためにわざわざ大西洋の向こうの旧世界へ戻り,大学を出て帰ってこなければならない。そんな苦労や危険を続けることは,何としても避けたかったのである。
森本あんり (2015). 反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体 新潮社 pp.34-35
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