「ハーバード」という大学名は,公立大学として設立された時の議決には記されていない。これは,その後同大学に多額の遺産を寄付したジョン・ハーバード(1607-1638)を記念してつけられたものである。ジョン・ハーバードは,イギリスに生まれ,ケンブリッジ大学のエマニュエル・カレッジを卒業して牧師となった。同カレッジは,ピューリタン学生を受け入れる数少ない大学だったため,ニューイングランドには彼の他にも多くのエマニュエル・カレッジ出身者がいる。彼も修士号を取得して1637年にニューイングランドへ移住するが,翌38年には結核で死の床についてしまう。その遺言で,320冊にも及ぶ自分の蔵書と遺産の半分である780ポンドを大学に寄付したのである。これは,2年前に植民地議会が拠出を決めた400ポンドのほぼ倍にあたる金額だった。
森本あんり (2015). 反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体 新潮社 pp.45-46
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