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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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何をもって「正常」とするか

 「正常性」という言葉の2つの主な使い方というのは,少し考えればよくわかる。まず「正常な」ということは,大多数の人の行為を意味すると考えられ,これを正常性の統計的定義と呼ぼう。正常な身長の人というのは,平均にくらべてそれほど高くも低くもない人のことである。体重に関して正常な人というのは,ほかの大部分の人より重くも軽くもない人である。この使い方は,大へんはっきりしていてわかりやすい。しかし知能とか,美醜とか,健康のような特性を考えると,ちょっと困ったことが起こる。
 知能について考えよう。統計的にいって正常な人というのは,知能指数が平均前後の人のことで,この定義に従えば,知能指数60の精神薄弱も180の天才も,どちらも「異常」である。また,統計的に正常な人というのは,美しくも醜くもない人で,美人は醜女と同じように異常ということになる----大ていはもっと異常だが。このようなあいまいさが一番ひどいのは,健康に関してである。正常な人というのは,平均の回数ほど病気や故障を起こし,なるべくありきたりの病気で死ぬ人である。健全に健康で老齢になるまでほとんど何の病気もしない人は,この見地からすれば大へん異常だということになる。
 健康や美醜や知能についてこのような見方はしないのが普通である。大てい統計的基準のかわりに理想的基準を用いる。ある人が理想に近いほど,それが知能の高さであれ,美しさであれ,健康なことであれ,それを正常な人と呼ぶ。しかし理想的な基準は統計的には全くまれなもので,多数の人を調べても実際には全くみつからないかもしれない。
 この2つの使い方はよく混同されるが,特に精神の健康に関して著るしい。精神分析家がおよそ正常な人はいないと断言するとき,正常性の理想的な概念を頭においていっている。しかし読む方はこの言葉を統計的基準の意味に解し,矛盾したばかげた言葉だという。同じような誤解は,ほかにもいくらでも起こる。この明らかな落とし穴を避けるには,言葉の意味の出どころに注意する必要がある。

H・J・アイゼンク 帆足喜与子・角尾 稔・岡本栄一・石原静子(訳) (1962). 心理学の効用と限界 誠信書房 p.195-196
(Eysenck, H. J. (1953). Usen and Abuses of Psychology. London: Penguin Books.)
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