バプテストら宗教的少数者が迫害されたのは,ヴァジニアに公定教会制度があったからである。つまり,政府がある一つの教会を公の教会と定めて,すべての人がその教会を支え,その教会に出席することを求める,という制度である。政治家となったマディソンは,ジェファソンと協力しつつ,長い努力の末に,多くの体制派牧師の反対を押し切ってこの制度を廃止した。彼らの努力は,政教分離と信教の自由を明記した連邦憲法の「権利章典」にも結実する。マディソンの確信によれば,信仰や良心の自由は「すべての権利の中でもっとも神聖なもの」であり,いかなる政治権力もこれを妨げてはならないのである。
つまり,一方にいるのは,熱心で福音主義的なキリスト教徒たち,とりわけ主流派教会から有形無形の迫害を受けていたバプテストやクエーカーら少数派のキリスト教徒たちである。他方にいるのは,合理主義的な思想の持ち主で,宗教にはあまり関心がないけれど,各人の自由と権利を侵害することには断固として反対する,という世俗的な政治家たちである。両者の思惑は,公定教会の廃止すなわち「政教分離」という点でぴたりと重なり,ここでがちりと手を組んだわけである。新興国アメリカは,通常ならありえないこのような二勢力の協力関係により,史上初の政教分離国家として出発することになる。
森本あんり (2015). 反知性主義:アメリカが生んだ「熱病」の正体 新潮社 pp.117-118
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