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I'm Standing on the Shoulders of Giants.

読んだ本から個人的に惹かれた部分を抜き出します。心理学およびその周辺領域を中心としています。 このBlogの主な目的は,自分の勉強と,出典情報付きの情報をネット上に残すことにあります。書誌情報が示されていますので,気になった一節が見つかったら,ぜひ出典元となった書籍をお読みください。

   

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ルイセンコ学説

ルイセンコは大学という基盤を持たず,また,時間やお金のかかる複雑な実験もしなかったが,スターリンに手っとりばやい解決策を提供して権力と影響力を急速に拡大し,やがてソヴィエトの生物学の頂点に立った。アメリカやヨーロッパの著名な科学者が彼の春化処理の方法に興味を持ってやってくると,ルイセンコは温かく対応したが,その影で,彼の乱暴な手法や成果に異を唱える人や,メンデルやダーウィンを支持する人は反逆者と見なされ,銃殺されたり,終身刑で強制収容所へ送られたりした。1948年,ソヴィエトでは遺伝学は「ブルジョアの偽科学」として公式に禁止され,その状況は1964年まで続くことになる。
 しかし,ルイセンコの修正ラマルキズムには,ちょっとした問題があった。実のところ,そのすべては大嘘だったのだ。彼の実験で成功を収めたものはひとつもなかった。穀物の収穫量は増えず,木も育たなかった。しかし失敗は隠蔽され,事実を曖昧にするための実験が続けられた。そのせいで,数百万人の農民が餓死した。科学者の不在が長く続き,品種改良が進まなかったため,戦後のソヴィエトは恥を忍んでアメリカから食糧を輸入せざるを得なくなったのだ。一方,アメリカでは,伝統的なメンデルの遺伝学による品種改良が成功し,トウモロコシの収穫高は3倍になった。結局,ソヴィエト連邦は,軍隊やテクノロジーの遅れによってではなく,農業に関する遺伝学と生物学のしくじりによって崩壊したのである。

ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.30-31
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