こう言うと,認知心理学と認知神経科学という姉妹が,私たちを自己というものの心理学的・神経科学的理解にいっそう近づけてくれているかのように聞こえる。だが,それは必ずしも事実ではない。特定の認知プロセスが心理学的・神経科学的にどのように働くかがわかっても,認知的アプローチだけで自己を解明するのは無理なのだ。
第1に,その定義から言って認知科学は心の一部----認知的部分についての科学にすぎない。心全体の科学ではない。7章で見るように,昔から心は知(認知)・情(情動)・意(モーティベーション)の3つからなると考えられてきた。認知科学が認知の科学とみなされるならば,情動とモーティベーションが認知科学では研究できないのは当然だが,認知科学が心の科学だということになっているとしたら,困ったことになる。感情と意欲を備えていない心(従来,認知科学が研究してきた種類の心)は,認知心理学者が与える問題は解けるかもしれない。だが,自己の精神的基盤としては具合が悪い。認知科学が設計する種類の心は巧みにチェスをすることができるだろう。ズルをするようにプログラムすることも可能だろう。だが,ズルをしても罪悪感に悩むことはないし,愛情や怒りや恐怖に気をそらされることもない。競争心にかられることも,うらやましがることも,同情することもない。心が脳を通して私たちを私たちたらしめている仕組みを理解したいなら,思考を担当する部分だけでなく心を丸ごと理解しなくてはならない。
認知科学の第2の欠点は,さまざまな認知プロセスがどのように相互に作用して心をつくりあげるかを解明できていないことだ。知覚,記憶,思考それぞれの仕組みの理解はかなり進んでいる。だが,それらがどのような共同作業をするかは解明されていない。そのうえ,心が知・情・意の3つの部分からなっていることを考えると,自己の理解にはさまざまな認知プロセスの相互作用だけでなく,情動やモーティベーションも含めて考えなくてはならない。情動とモーティベーションが相互にどのように作用するか,またそれらと認知プロセスがどのような相互作用をもつか。あなたの希望,恐怖,欲求はあなたの思考,知覚,記憶に影響を与える。心の科学というからには,これらの複雑なプロセスをすべて説明するものでなくてはならない。
最後に,認知科学が扱うのは,私たちの大部分における,典型的な心の働き方であり,個人における独自の心の働き方ではない。基本的にいって,私たちはみな同じ脳メカニズムによる同じ精神プロセスをもっているとはいえ,それらのプロセスやメカニズムの機能のしかたは,個々人の遺伝的背景と人生経験によって決まる。
認知科学の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはない。認知科学は研究プログラムとしてはかりしれないほどの成果をあげ,心に対する見かたを一新した。だから,私が認知科学分野の欠点を数えたてたのは,認知科学などだめだと言いたかったからではない。ただ,何がその人をその人たらしめているかを理解するには認知科学だけでは不十分だと指摘したかったのだ。
ジョゼフ・ルドゥー 森 憲作(監訳) (2004). シナプスが人格をつくる:脳細胞から自己の総体へ みすず書房 pp.35-37
(LeDoux, J. (2002). Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are. New York: Viking Penguin.)
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