マラソンの世界記録保持者にして,おそらく史上最速の長距離ランナー,ハイレ・ゲブレセラシェは,ケニア人ではなくエチオピア人だった。彼も5歳の時から走って通学したが,肌の色は別として遺伝子の構成は,エチオピア人の大半がそうであるように,ケニア人よりヨーロッパ人に近い。わたしたちは,肌の色で身体能力や知的能力を予測しがちだが,驚くべきことに,肌の色はわずか数個の遺伝子で決まり,その下にある2万5000個の遺伝子についてはほとんど何も語らない。実際のところ,アフリカのごく狭い地域に欧州全体をしのぐ遺伝的多様性が見られるのだ。
人間の走る能力は,遺伝的な差が大きいとする見方自体,怪しくなってきた。600万年前に人類が他の霊長類から分岐したのは,2本足で長距離を走る必要があったからだという仮説が,現在注目を集めている。長距離を走ったのは,日差しの照りつける広大な平原で捕食者から逃げ,また,獲物を捕らえるためだった。短距離を競えば,人間は大半の動物に負けるが,人間は馬に勝てるし,実際,勝っている。こうしたことは,走るという能力が,ごく限られた人に与えられた稀な才能ではなく,本来人間に備わっている特性だということを示している。
ティム・スペクター 野中香方子(訳) (2014). 双子の遺伝子:「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける ダイヤモンド社 pp.81-82
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