最も多くの人が抱く不満は,研究室に顔を出す暇もなく,以前はとても楽しみにしていた研究活動を行う時間がほとんどもてない,というものだろう。教授には処理すべき業務が無数にあり,それを終わらせるために一心不乱に働かなくてはならない。そのため研究そのものに関しては,たいていの場合,他人の手を借りることになる。現場で実際に作業をしているのは,学生やポスドクである。控えめに言っても,教授には自分のために使える時間はほとんどないのだ。
パーマネント・ポストに就いたのだからもう何もしなくていいのだとシニカルに考えているテニュアは,ありがたいことにほとんどいない(とはいえ,「役立たず」の教授は十分すぎるほどいて,まだテニュアを取得していない助教たちを苦々しい気持ちにさせている)。わたしが知っている教授たちは,1日8時間以上働くし,契約上はもっと長くとれるにもかかわらず,長期休暇も年に1〜2週間しかとっていない。
教授職とは,事実上,複数の仕事をひとつにまとめたものだ。まず第1に,教育者でなくてはならない。講義ノートが古びて黄ばんでいたなんて話もよく耳にするとはいえ,人にものを教えるということを真剣に考えるなら,時代に即した,得るところの多い,首尾一貫した授業にするために,かなりの労力が必要になる。それに加えて,宿題一式と試験,有意義な実験室実習を用意する必要もあるし,オフィス・アワーは学生と過ごさなければならない。
教授はまた,良き組織人であることも求められる。具体的には,数々の会議に出席して方針を決めたり,雇用や昇進について議論をする必要がある。意欲的な教授であれば,多くの時間をマネージャーとしての仕事に費やすだろう。その場合は,プロポーザルを書いたり,助成金管理の担当者に会うためにワシントンまで足を運んだり,ラボのスペースを確保したり,院生やポスドクを受け入れたり首にしたり等々を行う。
科学コミュニティに積極的に貢献する必要もあるかもしれない。論文の査読やプロポーザルの審査,他の研究機関での講演,各種会議への出席は,時間をどんどん吸い取っていく。企業でコンサルティングをしたり,教科書を執筆しているのなら,それに輪をかけて時間がなくなっていくはずだ。こうした状況を見れば,教授には,小説を読む暇も子どもと遊ぶ時間もほとんどないことが難なく理解できるだろう。
ピーター・J・ファイベルマン 西尾義人(訳) (2015). 博士号だけでは不十分! 白楊社 pp.99-100
PR