ヘイト・スピーチが良質の議論によって「駆逐される」という主張は,ナチズムが「表現の自由」を行使してヘイト・スピーチを行い,反対勢力を「駆逐」して権力をとり,多くの人々をユダヤ人虐殺の加害者とさせた歴史的事実に照らしたとき,どの程度説得力があるだろう。
そもそもヘイト・スピーチは,平等な社会の構成員の誰もが議論に参加して議論により解決するという対抗言論の前提を破壊する。経済的,政治的,社会的に現実には不平等な社会において,社会の構成員の誰もが等しく参加しうることを前提とする「思想の自由市場」が存在しうるのかという原理的な問題もある。それを置いても,とりわけマイノリティの場合,数の上でハンディを負い,差別により政治的にも社会的にも不利な立場に置かれて,発言力も不当に低く抑えられている。発現する機会も比較的少なく論戦において圧倒的に不利である。
師岡康子 (2013). ヘイト・スピーチとは何か 岩波書店 pp.157-158
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