こうした見方は,テロリストの心を読み違えている。たとえば,自爆テロリストは,かならずしも極貧家庭の出身ではない。彼らは狂人でも,相手の痛みがわからない人でもなく,家庭があり,子持ちの人もいる。そして,親しい人を愛している。暴力行為に及ぶ人とそうでない人を分け隔てるのは,あなたもよく知っている,非常に人間らしい感情や動機だ。それは,自分の社会集団との深い絆や,ある大義名分のせいで苦しんでいる人への強い同情心や,危機にさらされている生活を守りたいという強い責任感である。そして,暴力行為に及ぶ人は,自分が属する集団への同情心と,それに起因する敵対集団への軽蔑心に突き動かされている。彼らの行動は,偏狭な利他主義からきている。偏狭な利他主義とは,自分の行動の結果を積極的に顧みず,ひたすら自分の集団や大義名分に利することをしたいという強い思いのことである。これは,大統領選挙中のジョン・マケインが,すべてのアメリカ人が望む行動の動機として挙げた「個人の利益よりも偉大な大義名分に奉仕すること」そのものだ。私たちは偏狭な利他主義によって,自分に近い同胞たちの存在を借りて語られる。ある自爆テロリストの父親は「息子は大義名分のために死んだのではなく……愛する人々のために死んだのです」と述べている。ところが,テロリストが愛で動いていると想像できる人は少ない。
ニコラス・エプリー 波多野理彩子(訳) (2015). 人の心は読めるか? 早川書房 pp.92-93
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