脳刺激報酬が当初,快楽中枢を活性化によると考えられていたように,ドーパミンは快楽物質だと考えられていた。しかし前述のように,脳刺激報酬を快楽主義的に考える(主観的快楽だと考える)見かたは正しくない。同様にドーパミンの役割を快楽主義的に解釈するのも正しくない。たとえばドーパミンをブロックすると甘味という報酬によってモーティベートされた器械的反応は妨げられるが,おいしいものが得られたときにそれを食べることは妨げられない----動物はそれを食べるときに依然としてその報酬を「好む」。ただ,それを得るために努力することはなくなる。そういうわけでドーパミンは達成行動(食べること,飲むこと,セックスすること)にではなく,期待行動(食べ物,飲み物,性的パートナーを探すこと)にかかわっている。だが空腹であることや喉が渇いていることは不快なことだ。快楽はそれを経験としてとらえるかぎり期待の状態では生じず,達成のあいだに生じるものだ。ドーパミンは期待の局面だけにかかわっていて,達成の局面にかかわっていないのだから,その作用は(少なくとも,何かを欲する状態に関する作用は)快楽という観点からは説明できない。
ジョゼフ・ルドゥー 森 憲作(監訳) (2004). シナプスが人格をつくる:脳細胞から自己の総体へ みすず書房 pp.364-365
(LeDoux, J. (2002). Synaptic Self: How Our Brains Become Who We Are. New York: Viking Penguin.)
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